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スポーツ政策公開トーク第2弾 -プロ野球の地域貢献への取組み-

スポーツ政策公開トーク第2弾
-プロ野球の地域貢献への取組み-

スポーツ政策公開トーク第2弾

2005年12月17日、今出川校地明徳館21番教室で、スポーツと地域の関わりを考える「スポーツ政策公開トーク―プロ野球の地域貢献への取組み―」が開催された。新川達郎総合政策科学研究科長、コーディネーターの横山勝彦法学部教授の挨拶に続き、東北楽天ゴールデンイーグルス前監督の田尾安志さんが講演を行った。

 2004年10月、私は東北楽天ゴールデンイーグルスの監督就任要請を受けました。この年はプロ野球再編問題が世間を賑わせていましたが、私は、地域に密着し、人々から愛されるチーム作りこそが必要だと感じていました。
  例えばアメリカ大リーグ、マリナーズの本拠地であるシアトル市は人口約55万人の地方都市です。しかし、マリナーズは大リーグでトップクラスの動員数を誇っています。ということは、本拠地を仙台に置くイーグルスも、人気球団になる可能性があるということです。私は、地域の人々に愛されるチームになるようにと、オーナーに対して「ユニフォームに楽天のロゴを入れないでほしい」と申し出ました。彼はその場で了承してくれました。
私の理想が叶うと期待していたのですが、できあがったユニフォームを見ると、そうではなかった。私の考えはオーナーに理解してもらえなかったようでした。 
  そんな中でチームは始動しました。開幕前の1月、私たちはお披露目のパレードを行い、仙台の商店街を練り歩きました。ありがたいことに、大勢の人が参加してくれました。選手一人ひとりを紹介した後、私は「ファンの皆さんと選手たちはファミリーです。皆さんの力で、良いチームを作っていきましょう」と呼びかけました。
  仙台の皆さんは本当に温かかった。私の選手時代の阪神や中日のファンと違い、4月に11連敗した時でさえも、野次を飛ばされることはありませんでした。私は選手を集めて言ったものです。「結果として負けるのは仕方ないが、各自が持っている能力を精一杯出してプレーしてくれ」と。選手は一生懸命やってくれました。その姿を見て、ファンは応援してくれたのだと思います。野次がなかったのは、選手を自分たちのファミリーだと感じてくれたからに違いありません。仙台の街でイーグルスのキャップを被った子どもたちの姿を見つけた時は嬉しかったです。応援してくれるファンがいるということは、負けが続いても心の支えになりました。
  しかし、開幕後1カ月で、チームの人事が動くことになりました。私は、配置を換えても何も変わらないことを進言しましたが、結局、マーティ・キーナートGMが解任され、山下大輔と駒田徳広の両コーチが2軍に降格されました。オーナーには、オープン戦を好成績で終えた印象が強く残っていたのでしょう。 その後、選手が奮起してくれたおかげで、7月には月間勝ち越しを果たしましたが、8月に2度目の11連敗を喫しました。この日オーナーから「次の試合に負けたら休養を取ってはどうか」と勧められました。もし勝ったらどうなるか、と聞くと「そのまま続ければいい」とのことでした。たった1試合でチームを変えてしまうなんてあり得ません。当然、私は拒否しました。しかし、残り2試合を残した9月25日、来季の契約を行わないと通告されました。功労金を支給すると言われましたが、受け取りませんでした。
  振り返ってみると、オーナー、フロントと戦ってきた1年間でした。 選手はベテランも若手も十分頑張ってくれました。しかし、理想のチームとなるには、フロントの姿勢を含め、かなり変えなければならない点があったのは事実です。例えば、ファンサービスの1つである公開練習も、球団は入場料を取っていました。私がこの事実を知った後は無料にしましたが、これでは本当に地域密着を目指しているのか疑問です。球団は5千万円以上の黒字を確保したそうですが、真の成功は地域の人々がどれだけ認めてくれるかという点にあると思います。
  たしかに、球団を維持するには企業のバックアップも必要です。しかし、何よりも地域の人に愛されるチームを作るべきで、それには、「私利私欲を捨てる」というのが持論です。将来、野球界の発展を目指すなら、各球団だけでなく、プロ野球界が一体となり、どのように地域に貢献するべきかを考え直す時期に来ていると感じています。

田尾 安志さん
【1976年文学部社会学科産業関係学専攻卒業】
1954年1月8日生まれ。1976年ドラフト1位で中日ドラゴンズ入団。
同年、セ・リーグ新人王。その後、西武ライオンズ、阪神タイガースに移籍し、1991年に引退。引退後は、野球評論家としてメディアで活躍。2004年、東北楽天ゴールデンイーグルスの初代監督に就任した。

ONE PURPOSE(同志社大学通信)No146 (2006年4月)掲載記事