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SOSEI TALK

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SOSEI TALK #13

藤本 2011年の4月から、同志社のITECでPDを始めたわけですが、トータルで3年ですよね。今振り返って、この3年間はどうでしたか。
PDって、意外とわかりにくいと思うんですよ。博士の学位を終える人が、PDという道を考えることはあると思いますが、ひとりぼっちで、ひたすら学位研究の延長でやるのか、あるいは新しいかたちで研究をするのか。その辺はどうですか。
田中 博士学位の研究が、技術系企業といわれるような企業での人的資源管理に焦点を当てたものでしたので、ITECの趣旨に合うような研究をしていたというのもありました。ITECに入ってからも、それらに関連する研究を継続できました。また、ITECが「頭脳循環を活性化する若手研究者海外派遣プログラム」に採択されまして、その派遣メンバーとして、2011年からニュージーランド、イギリス、アメリカに派遣されました。最初は、ニュージーランドのオークランド大学でした。
それが、ITECでの研究のスタートですね。いきなり海外からスタートで、最初は何をしていいのかがわからなかったのですが、今振り返ると、よい意味で自由にやらせていただけたというのは良かったと思います。ニュージーランドでは、ニュージーランドのエンジニアの労働市場や就業環境について現地資料を基に調べたりしました。先生方も、そういった研究をどんどんやるようにおっしゃってくださいましたし、オークランド大学の先生・研究仲間も、資料収集をサポートしてくださり、実際に研究成果を論文として発表しました。
そのようなスタートを切りまして、その後頭脳循環の派遣で、イギリスのケンブリッジ大学やアメリカのミシガン大学に所属し、断続的にトータル2年ぐらい海外で生活しました。その間、日本企業が在外拠点として構えている現地拠点、とりわけ現地の研究開発拠点のオペレーションがどういうふうになっているかを、実際ヒアリングに行って調査してというのを繰り返しておりました。その成果を、ITECのほかの先生方と一緒に、あるいは単独で、論文を書いて国際学会や国内学会で発表したり、というのを積み重ねて、研究の幅を広げて業績を少しずつ増やしていきました。
藤本 その後の田中さんを見ていると、PDを終えた後でも海外の学会に積極的に出かけていくし、海外の研究者との共同研究にも積極的だと思います。そういうマインドが、この3年間のITECのPDで作られたのかなと、自分はそう思うときがあります。
ただ、同時に不安はありませんでしたか。やはり海外、それも派遣する教員側の都合で、さあニュージーランドに行け、次はイギリスだ、その次はアメリカに行け、という感じで、自分で選べなかったと思います。生活も向こうでしなくてはいけないわけですし。
田中 その辺は、あまり負担には感じなかったです。現地に行って、自分が興味を持ちITECの趣旨にも合うような研究であれば「自分で研究をどんどんやってくれてもいいよ」というスタンスで先生方は私達を送り出してくださったので。
大学・大学院時代の友人で海外赴任している友人もいるのですが、彼・彼女らも同じように「この期間はここへ行け」、「次はここへ行け」というふうに言われているので変わりないと思います。ただ、彼・彼女らは仕事内容も決まっているわけですが、僕は決まっている部分もありつつ決まっていない部分もある状況だったので、その分、彼・彼女らよりはラッキーな立場だなと思っていたくらいです。比較対象がそういった友人だったからかもしれないですけど、特に負担には感じなかったというのが正直なところですね。
藤本 あと、PD時代でよかったことや大変だったことなど、思い出すことはありますか。
田中 正直言って、あまり大変だったと感じることはなかったですね。非常に恵まれていたと思います。海外に行けるというチャンスがあったというのもありますし、国内での研究スペース・リソースもきちんとありましたし、同志社大学のリソースを伝えるという状況だったので、研究活動で大変だったなということはないです。
唯一大変だったなと思うのは、その後のキャリアをどうするかを考えるのが、大変だったというか、それが唯一の悩みの種だったという感じですかね。
藤本 当時どのようなことを悩んでいたのですか。
田中 海外でいろんな大学の先生たちにお目にかかる機会が多くて、「博士号を取ったのなら、今からのキャリアをどうするんだ」ということを聞かれることも多かったのですが、「ヒューマン・リソース・マネジメント(人的資源管理)をやっているのだったら、その知識を生かしてコンサルティングとして○○業界にも行けるんじゃないか」、「実際に私が指導したドクター生は、△△の企業で今●●の仕事をやっている」等をいろいろ聞きました。その話を聞くまではアカデミアでやっていこうと決めつけていたのですが、そういった話を聞いて、いろいろ悩んだ、いろいろ揺らいだ、といったものです。
藤本 博士学位を取得して、さらにPDまでやった人は、日本では、普通は「アカデミアに進むはず」と思いますよね。
田中 そうですね。
藤本 実際に、そういう大学や研究機関以外の仕事はありますか。日本の場合、コンサルティングならあるかな。
田中 経営学の募集だったら、多少あったりはしますね。一般企業でも、たまに博士号取得者を募集していることもあります。
藤本 田中さんは、ITECのPDのころにアカデミアへの就活を始めたのですよね。
田中 そうですね。3年間いたうちの3年目の頭ぐらいから、公募にアプライし始めて、秋ぐらいには運良く決まってというので。
藤本 当時の就職活動を振り返って、どうでしたか。幾つぐらい応募したのですか。
田中 10ぐらいは応募や検討したりしましたかね。
藤本 でも、それくらいで済んだ?
田中 10ぐらいのうち、自分の中でフィルタリングじゃないですけど、公募の募集要項を見て、自分にマッチするかどうかを見たり、マッチしていたら応募する、という感じで、かなり選んでしまっていたと思います。
藤本 ということは、もっと応募する可能性はあったけど自分で選択した、と。
田中 そうです。先輩方のお話を聞いていると、「公募にいっぱい出すのは、やはり可能性は増えるのでいいと思うけれど、公募書類などを書くために論文が書けなくなったら本末転倒だ」と言われて「確かにそうだな」と思ったので、応募先は絞りました。自分の研究領域である人事管理だったり、技術系企業が集積しているような地域の大学だったり、その辺でフィルタリングして、どこの公募に送るのかを決めて送るというやり方でしたね。
藤本 ITECのPDの3年目ですよね。
田中 はい。
藤本 確か、ドイツのデュイスブルグの学会に一緒に行っているときに、今の青森公立大学の仕事を受けるということを決心しましたよね。あのときは、ほかの大学でも選考が動いていたでしょう。要するに、まだ結論が出ていない話が幾つか並行で動いている中で、田中さんは現在の勤務先である青森公立大学に行こうと決めた、あの瞬間を覚えているんですよ。
田中 そうでしたね。先生と一緒に学会でドイツへ行って、現地が朝か晩かで、先生とホテルのロビーで待ち合わせているときに電話がかかってきて、現勤務先の青森公立大学が、ほぼ決まりかけていて、そこに他の大学からも「来ていただけませんか」というお話を国際電話でいただいたのです。だけど、その時すでに現務校に行くと決めていたので、ドイツの地で電話を受けてドイツの地でお断りするという形になりました。当時は、非日常なことがいっぱい起こりすぎて、よく分からない状況でした。
藤本 あれは11月の末ぐらいでしたね。タイミングとしては悪くないですよね。翌年4月からの任用ですから。でも、今のご時世、学位を取得して、PDをやっても、その後は、もう少し任期付きのポジションで修業をしなくてはいけないということは多々あると思います。その中でPDからシームレスに専任の仕事が手に入ったというのは恵まれていますよね。
田中 ラッキーとしか言いようがないですね。
藤本 決め手は何だったと思いますか。論文の数?
田中 論文の数は、確かに重要じゃないかなとは思いましたね。私の場合は、そんなにレフェリー論文が多いかというと、それほど多くないのですけど、研究成果はコンスタントに出していたので、それは効いたのではないかなとは思います。
藤本 そこは後輩への重要なアドバイスになる部分かもしれませんね。アカデミアで仕事を探そうと思っている人にはね。
現在の勤務先大学での授業や学生はどうですか。
田中 授業は今、人事管理論と組織行動論を担当しています。その二つをメインにゼミも担当しています。私は同志社出身ですので、関西の学生の、良い意味でも悪い意味でも「わあわあしている感じの雰囲気」を経験しているのですが、青森にはそれがあまりないです。最初は、授業をしていて関西のようにリアクションがないので「大丈夫かな?」と思っていたのですが、いざレポートを書いたら、きっちりやってくる。ちゃんと聞いているんだなとわかって安心はしたのですけど。物静かで真面目な学生が多いなというのは、今の大学の印象ですね。
藤本 なるほど。ゼミの指導生もいるのですよね。何人ぐらいいるのですか。
田中 今は2年生と3年生を担当しているのですが、2年生が18人、3年生が19人です。
藤本 結構な人数ですね。組織行動論や人事管理論だけを教えているわけにはいきませんよね。いわゆるゼミの先生ですから、面談などの仕事も出てきますでしょう。
田中 まだ赴任して2年目なので、3年生までしか担当していないので、卒業論文をどうするかまでは話は進んでいないのですが、皆さんの興味、関心はさまざまですね。私が講義科目で人事管理をメインに組織行動論も教えているというのがあるので、人によっては人事管理の制度的なことに興味がある学生もいたら、モチベーションやコミットメントに興味があるという学生もいます。また、ゼミ生の半分近くは女性で、ジェンダーや管理職への女性登用といった点に興味がある学生達であったり、と本当に多岐にわたる興味があるゼミですね。
藤本 なるほど。基本的には就職を考えている人たちですか?アカデミアに進もうという人は今のところいないですか?
田中 はい、今のところはないですね。
藤本 田中さんの影響を受けて、そのような人が出てこないとも言えない。そのときに何と言いますか。
田中 そのときは、先ほどまでお話ししたような、僕のキャリアを一つの例として話して、「こういう人生でもいいですか」という聞き方をするかもしれないですね。
藤本 それは「覚悟はできていますか」ということですか。
田中 裏を返すと、そうかもしれないですね。
藤本 研究と教育の両面に関して、今後の抱負は何かありますか。
田中 研究面では、今も博士研究のときと変わらず技術企業の人事管理や組織のマネジメントを研究していまして、ITECの先生方ももちろんですし、ほかの大学や組織の先生たちともいろんなネットワークを介して、一緒に研究させていただいています。そういったネットワークを介しながら、いろんなものを吸収して、今後もより多く、より質の高い業績を積んでいきたいなと思いますね。