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ワルキューレとシビリアン・コントロール 教授  武蔵勝宏

トム・クルーズの主演で話題になっている映画「ワルキューレ」を先日、鑑賞する機会があった。タイトルとなっているワルキューレとは、 第二次世界大戦の末期、ヒトラーの独裁政権を終焉させるために、反対派の将軍や政治家たちが画策、敢行した「作戦」のことで、史実が題材となっている。 作戦の発案者であり、実行者でもある主役のシュタウフェンベルク大佐は、「忠誠を誓うのは祖国であって、独裁者ではない」、 「今行動を起こさなければ何十万もの罪のない人々が殺される」と語り、ヒトラー暗殺計画への同志を募る。 その結果、発覚すれば家族にまで累が及ぶ危険があるにもかかわらず、多くの賛同者がこの計画に加わることとなる。 作戦は成功せず、事件の関係者は独裁者によって処刑されることになるのだが、彼らは反ナチ運動の英雄として、 現在においてもドイツの国民から賞賛されているという。

軍人が国家元首(当時のドイツでは首相であるヒトラーが相当する)に忠誠を誓うのは、シビリアン・コントロールの要諦である。 しかし、この場合の国家元首が独裁者であったとしても、軍人はその命に服さなければならないのか。 この映画はそうした問題に明確にノーといっているのだと、思う。日本でも、戦前に軍人が政権首脳を暗殺し、軍部が権力を奪取しようとするクーデター事件が起きた。 しかし、この青年将校らによる蜂起は、文民である政治家を実力でもって抹殺し、軍人による独裁国家へと導く破局の引き金であったことを我々は知っている。 そうした点で、ワルキューレ作戦と日本の二・二六事件は同じ軍人によるクーデターであっても、その本質はまったく異なるものである。

冷戦後日本のシビリアン・コントロールの研究

戦後のドイツでは、民主主義が徹底され、ナチスのような反民主主義政党は認められない。また、軍部に対する連邦議会による厳格な統制が取り入れられている。 一方で、軍人による独裁政権を経験した日本では、軍人が政権中枢につかないように、憲法に文民条項を設け、自衛隊の創設以降も、 自衛官に対する文民政治家の優位を法律で厳格に明記してきた。また、防衛庁(防衛省)も、戦前のような軍人が省部と参謀本部を独占する仕組みを改め、 文官からなる内部部局と制服組による幕僚監部を分離し、前者によって後者を統制する「文官」統制を採用することとなった。 これらのシビリアン・コントロールの確立によって、今日まで、制服組の暴走を抑止できる体制がとられてきた。 もはや、「軍部」が実力でもって政権の存立を左右したり、国策を独断遂行したりするようなことは制度上あり得ないといっていいだろう。

しかし、冷戦構造の崩壊以降、日本をめぐる安全保障環境は激変し、自衛隊の役割も国土防衛と治安から海外における国際平和協力への参加まで拡大することとなった。 戦前の日本では、軍人が暴走しそれを政治家が抑止できないという致命的な欠陥を抱えていた。 ところが、現代の日本においては、政治家が独断的に行動し、自衛隊がそれに引きずられるといった懸念が生じている。 制服組の一部に、戦前日本の侵略行為を正当化する発言が出てくるなど、民主主義に対する挑戦とみられるような事件も生じている。 自由民主主義体制の下で、日本に独裁政権が生まれることは考えられないが、世論や政党の動向次第では、政治が外交・安全保障政策を誤った方向に導くことも決して杞憂ではないだろう。 将来の日本で「ワルキューレ」のような悲劇が起こらないことを願うばかりである。